浦和地方裁判所川越支部 昭和53年(ヨ)89号
債権者
古張勇
(ほか三名)
右債権者四名訴訟代理人弁護士
細田初男
(ほか五名)
債務者
株式会社岡崎製作所
右代表者代表取締役
岡崎龍夫
右訴訟代理人弁護士
秋山昭八
(ほか二名)
主文
一 債権者らが債務者に対しいずれも労働契約上の地位を有することを仮に定める。
二 債務者は、昭和五三年六月一日以降本案判決確定に至るまで、毎翌月七日限り
債権者古張勇に対し一か月金一四万五四五円
同石橋定巳に対し一か月金二三万三五七〇円
同大村陽三に対し一か月金二二万三五七〇円(但し、昭和五四年一月一日から昭和五五年六月末日までは月額金五万五〇〇〇円)
同井上泰久に対し一か月金一四万三二五〇円の割合による金員をそれぞれ仮に支払え。
三 債権者大村のその余の申請を却下する。
四 申請費用は債務者の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一1 債権者古張、同石橋、同井上
主文同旨の判決
2 債権者大村
主文第一項、第四項と同旨の外
債務者は債権者大村に対し、昭和五三年六月一日以降本案判決確定に至るまで毎翌月七日限り、一か月金二二万三五七〇円の割合による金員を仮に支払え
との判決
二 債務者
本件申請はいずれも却下する
申請費用は債権者らの負担とする
との判決
第二当事者の主張
一 申請の理由
1 当事者
債務者株式会社岡崎製作所(以下「会社」という。)は、肩書地(略)に本社及び工場を置き、サーフェイスグラインダー、イオン整水器等の設計、製造及び自動車用部品等の板金加工、プレス、溶接等を業とする、資本金一六〇〇万円、従業員約一〇〇名を擁する株式会社である。
債権者古張は、昭和四五年一〇月七日会社に雇用され、主として自動車運転業務に従事してきた。
債権者石橋は昭和五〇年三月一日、同大村は昭和四三年三月二七日、同井上泰久は同年九月二日会社に雇用され、入社以来いずれも研究室に勤務し、債権者石橋は一貫してイオン整水器に関する生物化学研究に、同大村は工作機械、イオン整水器の開発、設計に、同井上は研削盤の研究開発、設計業務にそれぞれ従事していた。
2 配置転換命令及び懲戒解雇
会社は、債権者らに対し、昭和五三年四月一四日付けをもって、同月一九日から営業部へ配置換えすることを命じ、債権者らがこれに応じなかったところ、同月二〇日付けをもって、同月二四日から営業部へ配置換えする旨の命令(以下「本件配転命令」という。)をなし、同月二五日債権者らに対し、会社就業規則七六条六項該当を理由に、同日付けをもって懲戒解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)をした。
3 解雇無効
本件各解雇は、次の理由によりいずれも無効である。
(一) 本件配転命令は不当労働行為であるから、同命令拒否は懲戒解雇事由に該当せず、また本件解雇自体も不当労働行為である。
(1) 会社は、発足以来岡崎弥寿吉やその妻とめの親族が経営陣を占める同族会社であったが、従業員の賃金は残業の割増賃金に依存しなければ生活できない低額である上、日給者が大多数を占め、また会社の昇給の決定権限は工場長と呼ばれる岡崎とめが握っており、とめの意向にそうかどうかが昇給の決定的要素となっていた。
(2) このような劣悪な労働条件を改善し、近代的労使関係を確立するため、債権者古張、申請外細野英進らを中心に昭和五二年八月ころから労働組合の結成準備が進められ、同年一〇月一九日会社従業員三二名をもって岡崎製作所労働組合が結成された。同組合は、同月二七日総評全国金属労働組合埼玉地方本部(以下「全金地本」という。)に加入し、同本部岡崎製作所支部(以下「全金支部」という。)となった。
また、右組合結成当日債権者古張は委員長に、同石橋は副委員長に、同大村は執行委員に、同井上は会計監査にそれぞれ選任され、昭和五三年四月当時もその地位にあった。
(3) 会社は、組合結成直後の昭和五二年一〇月二一日突然塗装部の廃止を発表し、同月三一日付けで塗装業務に従事していた全金支部組合員四名のうち比留間副委員長ら三名に下請会社への転職を強要して退職させ、債権者古張を同月末日をもって解雇する旨の意思表示を同月二四日にする(後に撤回)など様々な組合攻撃を行ったほか、団体交渉の際全金地本オルグの入構を阻止するなど組合嫌悪感をあらわにしていた。
また、右組合結成直後課長の市川八郎らの勧誘で親睦会なるものが結成されたが、同会は、同年一一月一五日全金同盟埼玉金属岡崎製作所労働組合(以下「同盟岡崎労組」という。)となった。
(4) 会社は、昭和五三年二月二八日全金支部と全金岡崎労組の各組合三役を集めて経営協議会を開催し、「不況に対応する社方針」として、経営環境の悪化を理由に、不採算部門であるとする研究室と工作機械部を廃止し運送業務の一部を縮小するとともにこれらの部門の従業員を新設する営業部に配置換えすることを発表し、同年三月一日から対象となる各従業員に対し、「事情聴取」と称して配転先を予告し、配転の強要を行った。
(5) 会社は同月三日の事情聴取の際、債権者らに対し、営業部への配転を内示してその承認を迫った上、本件配転命令を発した。そして、営業部の内容や労働条件が不明確であるため、これらの点についての団体交渉が同月二八日に予定されていたにもかかわらず、本件解雇を強行した。
(6) しかしながら、会社が不況であるとの本件配転の前提は虚構というほかはなく、会社の自社開発製品であるイオン整水器の販売業績の好調さなどからみれば、むしろ創業以来の好況下にあるというべきである。また、研究室は、自社製品開発のための中心的存在であり、当時研究開発途上のテーマを多くかかえていたもので、これを突然廃止する必然性は全くなく、一方、新設の営業部は廃止部門の従業員を受け入れるためだけの会社には本来不必要なものであり、会社自体その内容について確定した構想を持っていないような部門にすぎなかった。会社が研究室を廃止する真の理由は、組合結成の際研究員一〇名全員がこれに加入し、塗装部や七名の部員中六名がこれに加入した工作機械部とともに、研究室が全金支部の拠点ともいうべき部門であったからにほかならない。
しかも、先の塗装部廃止の際親睦会員の大多数が社内に残留したのに続き、本件配転の際事情聴取を受けた三二名中、同盟岡崎労組員はその全員が小幅な異動にとどまり配転先も不利益な職場でないのに対し、全金支部組合員は廃止されない部門に所属していた者三名も配転の対象とされた上そのほとんどが大幅な異動で不利益な職場を予告されるなど、明らかな組合間の差別が見られる。特に、営業部に配転予告された九名中、同盟岡崎支部員は一名のみであるのに対し、全金支部員は七名であり、しかも債権者らを含む七名全員が執行部で、これは執行部のほぼ全員であった。
会社が全金支部を嫌悪していたことは、全金支部の再三の申入れにもかかわらず、昭和五三年一月以降全金支部が浦和地裁川越支部に団交応諾仮処分申請をするまで会社がこれを拒否し続けていたことにもよく示されており、以上の事実を総合すれば、本件配転命令は、会社が、全金支部役員の社内での影響力を嫌悪し、債権者らを社外での販売活動に出して不安定な労働条件下におき、全金支部組合員を会社から排除する政策の一環として行ったことは明白であり、組合員であることを理由とする不利益取扱として労働組合法七条一号の不当労働行為に該当し無効である。したがって、これを拒否しても懲戒解雇事由に該当しない。また、本件解雇自体も右同様の不当労働行為にあたる。
(二) 本件配転命令は、職種、賃金の一方的変更として無効である。
債権者古張は運転手として入社したものであり、また債権者石橋は昭和四四年東京農工大学農学部植物防疫学科卒業後大正製薬や理化学研究所において研究業務に携わった後、同大村、同井上はともに昭和四三年日本大学短期大学部機械科を卒業した直後入社し、いずれも研究室において申請の理由一1記載の業務に従事してきた研究員である。
しかるに、債権者らが命令された配転先である営業部は、その内容が明確ではないものの、従来の職種と全く異なるものである。また、会社が昭和五三年四月一九日に決定した営業部における配転後二か月以降の給与基準によれば、債権者らの月収はいずれも減収となり、不安定な歩合給の導入という点でも労働条件の著しい悪化となる。
このように、一旦合意した労働条件である職種、賃金を一方的に変更する本件配転命令は無効である。
(三) 解雇権の濫用
債権者らは、本件配転命令によって著しい職種変更と組合活動の事実上の放棄を迫られたのであるから、それに同意できるか否か検討中であったのに、業務命令を拒否したとして一方的に会社がなした本件解雇は解雇権の濫用である。
4 賃金
本件各解雇当時、債権者古張は解雇直前の昭和五三年一月一日から三月末日まで三か月間の平均月額金一四万五四五円、同石橋は月額金二三万三五七〇円、同大村は同金二二万三五七〇円、同井上は同金一四万三二五〇円の賃金を毎翌月七日限り得ていた。しかるに、会社は、本件各解雇を理由にそれ以降の賃金を支払わない。
5 保全の必要性
債権者らは、いずれも会社から支払われる賃金を唯一の収入源として生活を支えている労働者であって、本件解雇によってその収入の途を奪われ窮迫状態に陥っており、本案判決の確定を待っては回復できない損害を蒙ることが明白である。
二 申請の理由に対する認否
1 申請の理由1の事実のうち債権者大村、同井上の研究室勤務が入社以来のものであること、同石橋がイオン整水器に関する研究業務に、同大村が同器の開発業務に、同井上が研削盤の研究開発業務にそれぞれ従事していたことを否認し、その余は認める。
2 申請の理由2の事実は認める。
3 同3(一)のうち(1)の事実は否認する。(2)のうち、昭和五二年八月ころから債権者古張らを中心に同項記載の目的で労働組合の結成準備を進めたことは知らない。その余は認める。(3)のうち、会社が昭和五二年一〇月二一日塗装部の廃止を発表したこと、同年一一月一五日同盟岡崎労組が成立したことは認めるが、親睦会結成の経緯は知らない。その余は否認する。(4)のうち会社が配転を強要したことを否認し、その余は認める。(5)のうち、主張の事情聴取の際会社が債権者らに対し営業部への配転を内示したこと、本件配転命令及び本件解雇を会社が行ったことは認め、その余は否認する。(6)は争う。
4 申請の理由3(二)の事実中、債権者石橋、同大村及び同井上の入社前の経歴は認めるが、同古張が運転手として入社したこと、同石橋、同大村、同井上の従事していた業務を否認し、その余の主張は争う。
5 申請の理由3(三)は争う。
6 同4のうち、債権者らの賃金額は知らない。
7 同5は争う。
三 債務者の主張
1 本件配転の理由
(一) 工作機械部、研究室の廃止と運送部門の合理化
昭和五二年当時会社の経営基盤は、日産ディーゼル工業株式会社(以下「日産ディーゼル」という。)、株式会社土屋製作所(以下「土屋製作所」という。)からの自動車部品の下請製作業務並びに自社製品であるイオン整水器の製造にあったが、同年一〇月日産ディーゼルとの取引停止により右基盤の一を失ったのみならず、土屋製作所の下請業務についても先行の不安が高まり、イオン整水器についても昭和五三年から大手家電メーカーの新規参入が確実となり厳しい競争を強いられることとなった。会社は、昭和五二年末から昭和五三年初頭にかけてのこのような経営環境を乗り切るため、同年二月二七日不採算部門である工作機械部及び直接生産に寄与しない研究室の廃止を決定するとともに、日産ディーゼル関係の納品業務に従事していた債権者古張は月に二、三回納品業務を行うにすぎなくなってしまったので、経費節減のため、納品業務の一部を業者に委託することとし、これらの部門廃止に伴い発生する余剰人員の受け皿としてイオン整水器を販売する営業部の新設を決定したのである。このうち研究室は、昭和四四年一一月ころ工作機械のアフターサービス部門として発足し、昭和四七年以降イオン整水器の設計、試作及びイオン整水器関係の営業用パンフレットやその資料として使用するデータの収集等の業務を行うこととなったものであって、研究あるいは研究開発を行っていたものではなく、整水器の販売拡大のために営業政策上そのように呼称されていたにすぎない。したがって、大手家電メーカーの研究部門には到底太刀打ちできず、他方昭和五二年初頭から会社も会員になっている社団法人日本健康治療機器工業会が医大に委嘱して行うことになった整水器に関する効能等に関する調査・研究の結果、データを会社も入手することができるようになり、研究室はその存在理由が失われた。このように研究室の廃止は、経営上の合理的理由に基づいてなされたものである。
(二) 営業部の新設
会社は、右合理化に伴い二三名余の従業員が余剰となるため、その人員の学歴・年齢等を考慮して出来る限り工場の生産ラインに組み入れその吸収に努力したが、それでもなお一〇名前後の余剰人員が生ずるため、人員整理をせずにこれを吸収し、あわせてイオン整水器の販売向上を図るため営業部を設けることとしたのである。
(三) 債権者らの配転の理由
会社は、合理化に伴う配置転換について、合理化する職場の従業員をその対象としただけでなく、全社的に人員の適正配置を考慮し、九職場三二名をその対象とした。
営業部への配転対象者の人選は、営業経験を有すること、営業部に在籍したことのあること、対外折衝能力のあること、あるいはイオン整水器の知識を有していることを選考基準としたが、債権者らはいずれもこれに該当するものと認められた。
すなわち、債権者古張は、入社前営業・セールスの経験があり、また入社後まもなく営業に従事したいとの意向をもらしていたことに加え、対外折衝能力も有する。
同石橋は、入社以来一貫してイオン整水器の営業関連業務に従事しており、販売や「水」に対する知識を有していたのみならず、昭和五二年初めころから同年一一月ころまでテレフォンサービスの業務を行うなど対外的な折衝能力をも有していた。
同大村は、入社以来イオン整水器の設計等を行いイオン整水器及び「水」に関する知識を有していただけでなく、昭和四八年から五〇年ころまで整水器のアフターサービス業務に従事していた。
同井上は、昭和四七年九月から昭和五二年四月研究室に配属されるまでの間工作機械の販売に従事していただけでなく、昭和五〇年ころ井上商事という整水器販売会社を設立し、整水器を販売した実績がある。
ところで、会社就業規則九条には「会社は、業務の都合により従業員に職場又は職種の変更を命ずることがある。従業員は理由なくこれをこばんではならない。」と規定されており、会社は、前述のような業務上の必要から、同条に基づき本件配転命令を行ったものである。しかも、債権者らは、いずれも職種を運転手あるいは研究員と限定して採用された事実はない上、右のとおり入社前後に営業経験を有するか営業バックアップ業務に従事しており、本件配転先である営業部の業務内容と極めて密接な関連性のある業務に就いていたことがあり、また、営業部における賃金もごく一般的な能力と意欲を具有すれば従来より大幅に増大するのであって、いずれの点においても本件配転命令は、会社の保有する異動命令権の合理的な範囲内で行ったものである。
2 本件解雇に至る経緯
会社は、経営協議会で前記社方針を説明し組合の協力を要請した後、債権者らに対し一回ないし四回にわたり事情聴取の席上営業部への配転内示を行ったが、債権者らは、これに反対の意思を表明し、その後同年四月七日から三回にわたって行われた団体交渉の席上でも本件配転は認められない旨繰り返した。そこで会社はやむなく債権者らに対し本件配転命令を発し、債権者らがいずれもこれを拒否したため、債権者らの行為が「理由なく会社の指示命令に従わず、故意に職場の秩序を乱したとき」に懲戒解雇することを定めた会社就業規則七条六項に該当するものとして、債権者らを懲戒解雇したのである。
四 債務者の主張に対する認否
1 債務者の主張1のうち(一)(二)は争う。
2 同1の(三)のうち債権者らの経歴・能力に関する記載中、債権者古張が対外折衝能力のあること、同石橋が水に関する知識を有しており、債務者主張の期間テレフォンサービスに従事していたこと、同大村に関する記載は認めるが、その余を否認し、その余の主張は争う。
3 同2の事実のうち会社が経営協議会及び債務者主張の回数事情聴取を実施したこと、会社就業規則に基づき本件配転命令及び本件解雇を行ったことは認めるが、その余は否認する。
第三疎明関係(略)
理由
一 会社が、肩書地に本社及び工場を置き、サーフェイスグラインダー、イオン整水器等の設計、製造及び自動車用部品の板金加工、プレス、溶接等を業とする資本金一六〇〇万円、従業員約一〇〇名を擁する株式会社であること、債権者らがその主張の日にそれぞれ会社に雇用され、会社が昭和五三年四月一四日付けで同月一九日から営業部へ配置換えすることを債権者らに命じ、債権者らがこれに応じなかったところ同月二〇日付けで同月二四日からの配置換えを命じ、翌二五日会社就業規則七六条六項該当を理由に、同日付けをもって債権者らを懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
ところで、債権者らは本件配転命令及び本件解雇が無効であると主張するので、まず、不当労働行為の成否につき、以下項を改めて判断する。
二 組合結成とその後の労使関係
会社の従業員三二名をもって岡崎製作所労働組合が昭和五二年一〇月一九日に結成され、同組合が同月二七日全金地本に加入して全金支部となり、債権者らが組合結成当日その主張に係る組合役員にそれぞれ選任され、昭和五三年四月当時もその地位にあったことは、当事者間に争いがない。
(証拠略)を総合すると次の事実が疎明され、右認定に反する(証拠略)はたやすく採用できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。
1 会社は、昭和二八年の発足以来岡崎弥寿吉が代表取締役となり、昭和五二年二月当時その取締役に右弥寿吉のほかその妻とめ、とめの兄唯一が、監査役にとめの兄時春がそれぞれ就任しているほか、社内では右とめが工場長、その長男龍夫が専務と称されているなど、その経営陣を岡崎弥寿吉、とめ夫婦の親族で固めるいわゆる同族会社であった。また、会社従業員は、その大部分が日給制であり、従業員の平均賃金は年齢四〇歳勤続九年で基本給七万九〇〇〇円、諸手当を含めても一二万五〇〇〇円程度であった。
2 申請外細野英進、同正村隆、債権者古張勇らを中心に昭和五二年八月ころから組合結成の準備が進められていたが、会社は、同年九月末ころその動きを察知し、専務の岡崎龍夫が債権者石橋ら研究室員を呼んで組合の結成に参加しないよう警告し、右組合がその結成等を伝えるビラを社内で配布したところ、これを作成した石橋に始末書を書かせるなどした。
また、会社は、右組合結成後間もない同年一〇月末ころ、「総合企画室職務規定」と題した文書を作成し、室員に記名捺印の上会社に提出させたが、右規定中には、室員の責務として、組合活動及びそれに準ずる活動に加入することができないこと並びに業務命令に従わない場合は同文書を退職届に準ずるものとして取扱う旨の条項がある。
3 日産ディーゼルの下請部門である塗装部でも四名が右組合に加入したが、会社は、組合結成直後の同年一〇月二一日同部の廃止と日産ディーゼルとの取引停止を発表した。
そして、会社は、右組合員四名に対して会社の下請を行っている昭和化学に移るよう要請し、比留間副委員長を含む三名が同月三一日付けで退職して昭和化学に移ったが債権者古張の妻信子だけはこれを拒み社内に残留した。そのころ塗装の前処理業務の手伝いに行っていた研究室員で、右組合員の花咲秀夫は、塗装部廃止の直後から岡崎龍夫にホスライトという会社に移るよう要請され、同月三一日会社を退職した。
また、債権者古張は、日産ディーゼル関係の輸送業務も担当していたが、同月二四日岡崎龍夫らから塗装部門廃止を理由に退職を要請され、退職しなければ同月末日限り解雇する旨の通告を受けたため、当庁に対し会社を被申請人として地位保全の仮処分を申請したところ、同年一一月四日の審尋期日に古張の従業員たる地位を確認する旨の裁判上の和解が成立した。
右組合結成当時研究室員は一〇名であったが、その全員が組合に加入し、研究室は、七名中六名の従業員がこれに加入した工作機械部とともに全金支部組合員の多い職場となった。
ところが、試用期間中一旦解雇を通告されながら会社がこれを撤回したため能力調査を受けた後正社員となった一の瀬徳次が昭和五三年一月一〇日退職したのを始め、同日中川弥一、同年二月二八日逸見敏昭と、右組合に加入していた研究室員(前記花咲を含め四名)の退職が相次いだ(なお、もと研究室員で当時は企画室長であった小川信夫も、昭和五二年一〇月一九日の組合結成に参加しながら、その直後岡崎龍夫から解雇を通告され、やむなく同月一日付けの退職願いを会社に提出し、組合結成の翌日である同月二〇日退職した。)
4 同月二四日ころ、社内に親睦会という組織が発足し、飯田課長らによってその加入が募られたが、全金支部組合員の加入は認められなかった。塗装部の従業員であった十数名の親睦会員のうち三名は、塗装部廃止の際昭和化学に転職させられたが、そのうち一名は一日か二日で会社の下里工場に戻りその後本社工場に復しており、残余の親睦会員は社内に残留した。
5 全金支部は、会社に対し、その結成直後から昭和五二年度の年末一時金についての団体交渉を要求したが、会社が全金支部の上部団体である全金地本の参加する団体交渉には応じないとの態度を示したため、同年一〇月二九日埼玉県地方労働委員会にその斡旋を申請した。同委員会の斡旋もあって、同年一一月五日、一〇日、二一日、二八日と団交が行なわれ、このうち一一月一〇日、二一日の団交には全金地本の高橋オルグも参加した。しかし、会社は、同月二三日全金支部に対し、上部団体等の団交参加を遠慮するよう通告した上、同月二八日の団交の際にはそのころ正門前に常駐させた三名のガードマンによって右高橋の入構を阻止し、以後会社は全金地本を参加させた団交に全く応じようとせず、全金支部は、同年一二月一二日やむなく単独で団交に臨んだ。その後、全金支部は、同年一二月二一日、翌昭和五三年二月七日、同月二〇日、同年三月三日及び同月二三日いずれも団交を申入れたが、前二回については、会社が会社側の不都合を理由にこれに応じず、その後については、団交開催の前提として組合書記長との事務折衝を要求する会社とこれを拒否する全金支部との対立などの事情から、同年一月から三月までは全く団交が行われなかった。また、団交への全金地本代表の参加をめぐっても、意見の対立が続いていた。
三 全金支部結成後の会社の役員構成、資本、事業内容等の変化
(証拠略)を総合すると、次の事実が疎明される。
会社は、組合結成の約一か月後の昭和五二年一一月二四日に創立以来初めての臨時株主総会を開催した上、岡崎弥寿吉が取締役兼代表取締役の地位を降り、岡崎とめも取締役を辞任し、岡崎龍夫が代表取締役、龍夫の弟敏夫が取締役にそれぞれ就任した。更に、会社は、岡山県内の数社で労務を担当し、昭和四六年末から川越市内にある各和精機株式会社で労務担当の勤労課員であった牧尾秀一を昭和五三年一月五日総務部長として迎え、右牧尾は、同年三月二四日市川八郎、飯田嘉三とともに取締役に就任した。
一方、会社の自主開発製品であるイオン整水器の販売部門として昭和四八年に発足した株式会社オムコ(以下「オムコ」という。)では、昭和五二年三月二三日代表取締役に岡崎とめ、取締役に岡崎龍夫、敏夫、伸子(とめの長女)、新井正子(とめの次女)、監査役には岡崎弥寿吉が就任していたが、組合結成後の昭和五二年一一月二二日には岡崎弥寿吉が取締役に就くなどの取締役等の改選を行った。
ところで、会社とオムコとは、昭和五一年四月六日いずれも倍額増資を行ったが、その後会社の増資は行われない一方、オムコは昭和五三年五月に倍額増資したのに続き昭和五四年八月にも増資を行い、会社の資本額の倍以上になった。更に、オムコは、従来その目的を販売のみに限っていたにもかかわらず、組合結成の約二か月後である昭和五二年一二月六日には医療機器等の製造をも目的とするに至った。また、従来ポット型イオン整水器の製造権者は会社であり、オムコは販売部門にすぎなかったが、昭和五三年に厚生省に医療用具として承認申請し昭和五四年二月から販売されたニューポットについては製造権者となった上、製造業者しか入会できない社団法人日本健康治療機器工業会の正会員ともなった。そして、ポット型イオン整水器の特許権者は会社であるのに、その実施権はオムコに設定され、会社はオムコから受注を受けて下請の形で製造することとなった。
このように、昭和五二年一一月以降、会社及びオムコの役員構成、資本、事業内容等は大きく変化を遂げたが、岡崎弥寿吉らは、その後河村進が代表取締役となって設立した株式会社オムコ通販の経営にも乗り出し、その会社役員を弥寿吉の親族で占めるに至っている。
四 本件配転命令及び本件解雇に至る経緯
(証拠略)を総合すると次の事実が疎明され、右認定に反する(証拠略)はたやすく採用できず、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。
会社は、昭和五三年二月二八日一時間半にわたり、全金支部、同盟岡崎支部の各組合三役の出席を求めて経営協議会を開催し、「不況に対応する社方針」として、工作機械部と研究室を廃止し、運送業務を一部縮小した上、これら部門の従業員を新設する営業部に配転する方針を発表した。そして、会社は、同年三月一日から事情聴取と称して、九職場三二名の従業員に対し配転の内示を行い、債権者古張、同井上に対しては同月三日のみ、同石橋に対しては同日を含め四回、同大村に対しては同日を含め三回の事情聴取を行った。しかし、配転につき債権者らの同意を得るに至らず、会社は、同年四月一日債権者らを事情聴取のため再度呼び出したが、債権者らが団交で話し合う意思を表明してこれを拒んだため、同月四日その時点で配転に応じていなかった九名(全員が全金支部組合員)のうち債権者らを含む六名に対し、同月七日までに配転先に赴任することを求め、これに応じなければ何らかの措置をとらざるを得ない旨の警告文と題する文書を発した。
一方、全金支部が同年三月三日から要求していた本件配転についての団交は前示のような事情から実施に至らなかったため、全金支部が同年四月四日当庁に対し団交応諾仮処分申請を行ったところ、会社は、同月七日全金地本の代表も交えた団交に応じ、同月一七日、二一日にも春闘問題とあわせて本件配転問題についての団交が行われた。
そして、会社は、団交での協議がまだ継続中であった同月一四日、二〇日の二回にわたり、債権者らに対し本件配転命令を発し、債権者らがこれに応じなかったところ、同月二四日債権者らのもとに、配転命令拒否の態度を確認したことを通知する旨の文書を持参し、翌二五日出社した債権者らに対し、債権者らの行為が「理由なく会社の指示命令に従わず故意に職場を乱したとき」懲戒解雇する旨を定めた会社就業規則第七六条六項に該当するとして、懲戒解雇の意思表示をした。
ところで、経営協議会では、社長の岡崎龍夫が前示の社方針と合理化の理由を説明し、一、二の質疑応答がなされたのみで、営業部の内容についてはポット型イオン整水器の職域販売を行うという程度で具体的な説明はなされなかった。また、債権者らとの事情聴取の席上でも、営業部構想についての説明はあまり進展がなく、営業部における給与についても、会社側は配転に応ずれば具体的に話し合おうという態度であった。更に、団体交渉においても、昭和五三年四月一七日の第二回目の団交の際、給与を固定給に歩合制を加味した形にし、従来の給与を二か月間保証すること、オムコから仕入れたポット型イオン整水器の販売を業務とすることなどの説明がなされたものの、債権者らが第三回の団交前営業部構想や労働条件についての文書提示を会社に対し書面で要求しており、会社は同月二〇日ころ給与基準についての文書を作成したにもかかわらずあえてこれを債権者らに郵送して、同月二一日の団交の席上ではこれを示さなかったため、それについての具体的な討議はなされずに終った。そして、同月二八日に再度の団交が予定されていたが、これを待たずに本件解雇が行われるに至った。
なお、会社は、第一回の事情聴取の際から、配転対象になった従業員に対し、業務命令を拒否して配転に反対する意思があるか否かを書面に明示することを求めており、また、債権者石橋、同大村に対する事情聴取が継続中であった同年三月一六日同人らに研究室からの引越しを命じ、実験材料等を撤去した上、同月二〇日緊急の必要性がないにもかかわらず研究室棟を取り壊している。
五 本件合理化の前提とされる諸事情の検討
1 本件配転の前提としての会社をとりまく経営環境の状況についてまず検討する。
(証拠略)を総合すれば、以下の事実が疎明される。(証拠略)中この認定に反する部分は措信しがたく、他に同認定を覆すに足りる疎明はない。
会社は、従前土屋製作所の下請会社として主に自動車のプレス板金部品の製作を、日産ディーゼルの下請会社としてプレス板金及び塗装業務をしていたほか、自社製品である工作機械及びイオン整水器等の製造販売を行ってきたが、会社の営業収益は、ポット型イオン整水器の販売開始前である昭和五〇年度から黒字を続け、昭和五一年度から五三年度にかけては、昭和四七年度の二倍近い約一五億円の売上高に達した。昭和五二年度においては、従業員数では全体の二割でしかないイオン整水器部門の売上げが、このうち約五割に達し、その年から販売されたポット型イオン整水器の好実績(同年八月会社はポット型イオン整水器があたったとして従業員全員に平均四万円の臨時ボーナスを支給している。)は、会社あるいはオムコの大がかりな新聞広告(昭和五二年五月から昭和五五年四月までの間で約二億円)の影響もあって少くとも昭和五四年度まで持続し、会社はそのころ創業以来の好況となった。
また、会社は、昭和五一年四月倍額増資して、株主に十割配当をしており、昭和五二年、五三年においても一五ないし二〇パーセントの好配当を行った。その後、会社は増資を行わなかったものの、イオン整水器の一手販売を担当するオムコが増資していることは前示のとおりである。更に、会社は、昭和五二年二月の株主総会で役員報酬枠を年額三、〇〇〇万円から四、〇〇〇万円に改定した上、昭和五四年の株主総会まで毎年その引上げを行ったほか、昭和五三年八月には、昭和五〇年九月に借入れた三、〇〇〇万円を完済して、社有土地上に設定していた抵当権を消滅させ、昭和五三年一月ころから会社構内の建物の増改築や倉庫新設を行っている。
一方、会社が自動車部品のプレス板金塗装業務の下請をしてきた日産ディーゼルからは、昭和四六年ごろからコストダウン(納入単価引下げ)の要求がなされ、昭和五二年一月ころP3(生産性向上)運動を推進する旨伝えられ、更に厳しいコストダウンが求められることになったこと、会社が同年一〇月日産ディーゼルとの取引停止、塗装部門の廃止を決定したため、その関係の売上の減少と余剰人員が生じることとなり、土屋製作所から受注していたプレス部品については昭和五四年以降一部樹脂化になることから、その設備のない会社ではその分の生産ができないなど先行の不安があったこと、イオン整水器についても昭和五三年ころから大手家電メーカー等の進出が予定されていたこと、下請部門や工作機械部門の生産性がイオン整水器部門に比べれば低いことなど会社の経営状態の先行についての不安要因もないではなかった。
しかしながら、工作機械部の採算状態は、昭和五二年ごろ急に悪化したものではなく昭和四八年のオイルショック当時から同様の状態にあったものであり、塗装部についての日産ディーゼルからのコストダウン要求も昭和四〇年代からなされている。また、同部廃止の理由として会社は粉じん等による公害問題を挙げているが、この点に関し公的機関が介入したのは昭和四八年のことであり、その後公害防止条例等に基づく規制がなされた事実はなく、昭和五二年九月労働者の労働環境改善の面から発せられた労働基準局長による吹付塗装作業の一時停止命令も塗装部廃止を余儀なくさせるほどのものとは言い得ない。そして、前述のような会社全体の実績の好調さをあわせ考えれば、昭和五二年後半から昭和五三年初頭において、運送業務(輸送部)合理化の前提となった塗装部の廃止や、工作機械部の廃止を、余剰人員を生じさせてまで一挙に断行しなければならないほどの緊急性を見いだすことはできない。
2 次に、(証拠略)を総合すれば、会社では古くから研究開発が重視され、研究室あるいは研究部と呼称される部署で自社製品である研削盤やイオン整水器等の研究開発、改良が行われてきたこと、特に、昭和五〇年三月債権者石橋の入社後は、施設も次第に拡充され、約一、〇〇〇万円をかけて実験器材等が購入されたこと、昭和五二年夏ころには機械設計、電気の配線・回路設計、生物化学関係の実験研究などを約一〇名の研究室員が分担して行っており、このうち、研究室の中心的存在であった債権者石橋は、イオン水の効能等化学的テーマに取組んで研究レポートを作成し、昭和五二年一一月にも今後の研究テーマについて詳細な報告書を作成しており、債権者大村らはイオン整水器の改良等に取組んでいたことが疎明され、この認定に反する(証拠略)はたやすく採用できず、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。
会社は、会社の研究室は、昭和五三年以降整水器分野に進出予定の大手家電メーカーの研究部門に太刀打ちできない一方、社団法人日本健康治療機器工業会から整水器の効能・効果等についての調査結果あるいはデータを入手することができるようになったから、研究室の存在意義は失われたと主張するけれども、(証拠略)によれば、同会は健康治療機器の製造業者、輸入販売業者が正会員となって組織し、モデル機器によりカルシウムイオン水製造装置の一般的安全性や効能を研究しようというものであることが認められる。
したがって、同会の活動が業界全体の研究水準を向上させることにはなるとしても、企業間競争に勝ち抜き自社製品の開発・改良を行っていくためには、同会の研究結果等を利用することで足りるものではなく、社内の研究機関による独自の研究が不可欠であることは見やすい道理であって、前に認定した研究室の状況に照らせば、研究室はなお存在意義を有するというべきである。
しかも、(証拠略)によれば、会社は、昭和五二年当時数名の研究室員を募集中であり、同年一〇月にも化学研究者等を募集する旨の広告が出されているのであって、研究室はむしろ拡充傾向にあったものと認められ、当時会社の経営実績が好調であったことをあわせ考えれば、昭和五三年初頭ころ研究室を廃止すべき合理的理由があったものとは認めがたい。
3 一方、営業部新設の必要性等については、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、右認定に反する債務者代表者の尋問結果(第一回)の一部はたやすく採用できず、他に同認定を覆すに足りる疎明はない。
会社のイオン整水器の販売は、オムコから卸す代理店を通じての販売と、株式会社オムコ通販による通信販売が従来から行われており、会社では、本件合理化の当時、合理化による余剰人員の職場確保の目的以外に営業部を新設する必要性はなかった。したがって、債権者らを解雇した後も、他の従業員を営業部に配転した事実はなく、従来土屋製作所関係の仕事を担当していた従業員一名のみが、その仕事と兼務する形で(従来の仕事と営業部の仕事の比率は約五対一である。)その業務を行っているにすぎない。しかも、営業部の新設が決定されたのは、経営協議会開催の三、四日前であり、その内容も、当初一〇人内外で発足させ、とりあえず埼玉県内を主に、団体や会社をまわってオムコから仕入れたポット型イオン整水器の展示販売を行うことを業務とすることが急遽決定されたにすぎない。会社は、販売実績の予測として営業部員一人当たり月間三〇ないし三五台の販売は可能というものの(その程度の販売は可能という報告書(<証拠略>)は事後的なものであり、また今後もその実績が維持されるとは認めがたい。)、事前の調査を実施し、あるいは代理店、通信販売との競合の調整を図るなどといった事実はなく、前示のとおり大手家電メーカーの新規参入などの事態が予測される状況下にあって、しかも来るべき経営不振に対処すべく計画された合理化に伴って新設される部署というには、あまりにも場当たり的な構想である。
また、その給与についても、当初は固定給と歩合給を合わせたものというだけで、具体的な賃金体系が決定されたのは経営協議会の約一か月後である昭和五三年四月二〇日ころであり、営業部への配転を内示された債権者らがその応諾をためらうのも無理からぬところというべきである。
六 以上の事実から判断するに、会社が従来から工作機械部や輸送部縮小の前提として挙げる塗装部を廃止する意図を有していたともみられないではないものの、本件合理化を決定した当時における会社の営業実績、会社における研究室の存在意義に徴すれば、本件合理化を断行すべき差し迫った必要性が当時あったものとは認められない。そして、営業部が本来会社にとって必要な部署ではなく、余剰人員をとりあえず配置するという以上に、会社が確たる位置づけをもってこれを新設したものとは認めがたい上、塗装部廃止の決定や本件合理化の決定と、全金支部結成との時間的接着性、塗装部廃止後における全金支部組合員の異動状況、同組合員が廃止の対象とされた研究室及び工作機械部の従業員のほぼ全員を占めること、全金支部結成後における会社の対応状況、これに加うるに、全金支部結成直後から会社やオムコにおいて、その役員や資本、事業目的等につき従来にない変化がみられ、特に弁論の全趣旨により労働組合が社内に存在しないものと認められるオムコに岡崎弥寿吉らその経営陣の経営の力点が急速に置かれるようになったことなどをあわせ考えれば、会社がこの時点で工作機械部のみか研究室まで廃止することを決定した背景に全金支部結成という事態があることは推察するに難くない。
しかも、本件合理化により配転の対象とされた従業員の具体的な配転状況をみれば、この点は一層明らかとなる。
すなわち、(証拠略)によれば、次の事実が疎明される。
会社から配転について事情聴取を受けた者は三二名であったが、このうち非組合員は一名であり、残りは全金支部と同盟岡崎労組の組合員が約半数ずつであった。このうち営業部への配転を内示された者は九名であり、全金支部の組合員が七名、非組合員一名、同盟岡崎労組員一名であったが、同盟岡崎労組員である大房康宗は、配転後も従来行っていた土屋製作所関係の仕事を掛持ちで行う旨通告されており、現実にも従来の仕事を主に行っている。これに対し全金支部組合員七名は、営業のみを行うこととされているが、全員が組合役員であり、執行部のほぼ全員である(なお、全金支部組合員のうち細野副委員長は配転内示を取消され、正村書記長は、これを保留された。非組合員である渡辺利男は事情聴取を重ねた結果配転に応じたが、昭和五三年五月講習会実施中に退職した。)。
また、全金支部組合員中には、関根保宏のように合理化の対象外の職場の従業員でありながら配転対象とされている者がいる一方、事情聴取を受けた同盟岡崎労組員のうち九名は、それ以前から既に従事していた職場に配転内示されたものであり、これに従来の仕事との兼務が予定されている前記大房と須賀新一とを加えれば、本件配転によって実質的に職場が変動する者は同盟岡崎労組員については少数であり、その少数者も従来との職種の相違は小さい。これに対し全金支部組合員特に営業部に配転された七名については、営業部が配転前従事していた業務と全く異なる職種の部署であるばかりでなく前認定のような確たる構想を会社が有さず労働条件も不明確な職場である点において不利益な配転がなされたものというべく、この七名全員の全金支部における地位に照らせば、この配転は、これらの者が労組員であることを主たる動機としてなされたものと推認せざるを得ない。
なお、(証拠略)によれば、同盟岡崎労組は、全金支部結成の直後結成された親睦会を母体としてできたものであり、その発行に係る教宣ニュースで全金支部に対する会社の断固たる姿勢を要請し、全金支部との対決姿勢をあらわにしていた組合であり、昭和五三年五月ころから会社で主任制がとられてからは、全金支部から転じた者一名も含めその全員が同盟岡崎労組員で占められ、同年六月正村全金支部書記長が大房書記長ら同盟岡崎労組員に会社構内で暴行を受けた際、会社はこの事実を知りながら、大房らに対し何らの処分も行わなかったことが認められるのであり、以上の事実を総合すれば、会社は全金支部やその組合活動を嫌悪し、右両組合への対応を区別していたことが推認される。
更に、先に認定した本件配転命令に至る経緯に照らせば、債権者らは会社自体が確たる構想を有していない営業部への配転を内示され、営業部における給与基準について配転に応じれば話し合おうと告げられたのみで具体的な基準の提示がなされなかったばかりか、その決定さえなされていなかった同年四月一四日及び同月二〇日に配転命令を受け、給与基準について意見交換を経ぬまま懲戒解雇されたものであり、研究室撤去の事実や事情聴取から懲戒解雇に至るまで会社が作成した前記文書類の記載内容をあわせ考えれば、会社は、当初から債権者らの中から配転拒否者が出ることを予測し、配転対象者の意向を聴くという会社主張の事情聴取の趣旨とは裏腹に、債権者らの意向を無視して同人らにとって不利益な営業部への配転を行い、その拒否者の解雇を行おうとする意思を有していたことが窺える。
以上の諸事情を総合すると、債権者らに対する本件配転命令は、会社主張の理由によるものではなく、全金支部ないしその組合活動を嫌悪した会社が、債権者らが全金支部組合員であることを理由としてなした不当労働行為というべきであり、したがって、右配転命令に応じなかったことをもってなした本件解雇も無効である。
七 保全の必要性
以上の次第であるから債権者らと会社の雇用関係は依然として存続しているものというべきところ、(証拠略)によれば、債権者らは会社から毎翌月七日限り債権者ら主張の額の賃金を支給されていたことが認められる。
また、(証拠略)を総合すると、債権者らはいずれも会社から支払われる給与をもって生計をたてている労働者であるところ、弁論の全趣旨によれば、会社は昭和五三年六月一日以降の賃金を債権者らに支払っていないことが疎明される。
一方債務者は、債権者らが本件解雇後他に職業を有し、あるいはその妻が職業を有していることから保全の必要性はないと争っているところ、(証拠略)によれば、本件解雇後債権者石橋が昭和五三年九月四日以降少くとも昭和五四年三月一五日まで理化学研究所に、同大村が昭和五四年一月初旬以降少くとも昭和五五年六月末まで三富士工業株式会社にそれぞれアルバイトとして勤務し、同石橋は日給三、五〇〇円の、同大村は毎月約一七、八万円の収入をそれぞれ得ていたこと、同井上が昭和五一年六月一八日以降スナック「曼陀羅」の経営者として登録されていること、同古張の妻が債務者に雇用され昭和五三年四月当時月額手取約五万円の収入があったことが疎明される。しかしながら、このうち債権者石橋についてはその就労日数、同井上についてはその収入額がいずれも明らかではなく、同大村についても右期間以後の就労状況は明らかではない。また、債権者古張の妻に右のような収入があるからといって、それのみによって生計を維持することは困難というべきである。
以上の事実に徴すれば、債権者らについて、いずれもその地位保全及び賃金仮払いの必要性があるというべきである(但し、債権者大村の申請のうち、昭和五四年一月一日から昭和五五年六月末日までの間の賃金仮払い申請については、月額五万五、〇〇〇円の限度でその必要性が認められる)。
八 よって、債権者大村の本件仮処分申請は右の限度で、その余の債権者らの本件申請はすべて理由があるからこれを認容して、債権者大村のその余の申請を却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条九二条但書を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 今井俊介 裁判官 松津節子 裁判長裁判官宍戸清七は差支えにつき署名押印できない。裁判官 今井俊介)